著者は科学哲学の泰斗であり、カトリック信者です。自分の専門領域とキリスト教との関係について何冊か著しています(『近代科学と聖俗革命』『科学史からキリスト教をみる』など)。その中で本書は、もっとも一般向けではないかと思います。
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本書執筆の意図・立場
- 信仰という問題について通用しているある種の誤解だけは解いておきたいという願いが、私の中に燃えていた……その一つは、文明史的に見た時のキリスト教と科学の双極化であった。キリスト教を、科学的真理の弾圧者として歴史の中に仕立て上げるという一つの文明史の啓蒙主義的図式は、私にとってはやはり誤解としか思えなかった。……もう一つの誤解は、……人間の営為としての知的活動と信仰との双極化の問題であった。(180~181頁)
- 私は、何はともあれ、ローマ・カトリック教会の一員である。しかし、その私の私的な信仰の立場は、本書ではできる限り前提として立てることはしなかった。本書は決して一つの信仰の立場を優れたものと断定するものでもなければ、そこへ他人を勧誘するものでもない。私が本書で意図したのは、個人がいかなる信仰を持つにせよ持たないにせよ、その信仰より以前に考えておくべき点を明らかにすることであった。(181~182頁)
ガリレオが太陽中心説に与した宗教的背景
- ガリレイ事件の印象があまりに強いために近代合理主義と自然科学は、その登場からキリスト教に対する否定の契機を持って始まったという誤解が生まれたと言ってよい。だが第一に、近代科学の礎石を築いた人々が、キリスト教信仰に否定的感情を抱いていた、という例は、ほとんど絶無と言ってよい。例えば当のガリレイ自身がそうである。ガリレイは、カトリック教界の内部に完全に喰い込んでいて、例の異端審問事件の蔭の教皇ウルバヌス八世は、彼のかつての学問上の弟子バルベリーニその人であったほどだが、こうしたガリレイのカトリック教界内での「成功」の一部には、ガリレイ特有の処世術があったことは確かである。(61~62頁)
- ガリレイは、結局は彼自身を断罪の危険にまで追い込むことになった主著の一つ『天文対話』……を書く動機の一つとして、プロテスタントの世界では一般的になりつつあったコペルニクス体系が、カトリック教界内部でも決して否定されてはいないことを証明しようとしたこと、言いかえれば、宗教改革運動の開始から約百年、ようやくカトリック、プロテスタント両者の教義的な再編成と収拾活動期にあって、当初コペルニクス(彼自身が完全にカトリック教会の一員であった)説がカトリック側から推賞・歓迎されたのに反し、ルターを始めとする多くのプロテスタントがこれを激しく非難・攻撃していた状況が逆転し、アリストテレス的自然学の枠組みに依拠し続けようとするカトリック神学の中でコペルニクス批判が一つの勢力として印象づけられ始めていく一方で、プロテスタント側が、コペルニクス説を旧体制批判に政治的に利用しようとする時代を迎えて、カトリック内部のガリレイが、カトリックを擁護しようとするという目的が、その動機に込められていたと言われる。(62~63頁)
神・自然・人間の関係
- ヨーロッパ近代の自然科学技術を支える思想の中に、キリスト教の構造が相当部分含まれている……。第一はこの自然が神の作品であり、人間が神の似像≪imago Dei≫として神の理性の模型であることは、人間が少なくともある程度自然の神秘を理解できないはずはない、という確信がそれであった。ケプラー、ガリレイらはもちろん、デカルト、ライプニッツらの純然たる近代合理主義思想においても自体はまったく変わらなかった。スピノザの「神はすなわち自然である」≪Deus sive natura≫という言葉は、それを語って余りある。(77頁)
- 第二には、理解された自然という前段の過程の上に立って、人間の住処として与えられた自然をよりよく改良していこうとする支配・制御の感覚であった。そしてこの支配・制御の感覚の中には、第三のキリスト教的な(*森川挿入:開始と終点を持つ直線的な)時間構造も絡んでくる。この第二と第三の局面は、どちらも非常に鋭く「世俗化」を志向するものであって、通常は、ヨーロッパ近代精神がキリスト教の枠組から離脱したことを証明する顕著な現象として受け取られることが多い。しかし……それは必ずしも「離脱」ではなく、構造自体は変わることなく、表層部の交代変化があったとも考えられる現象なのであった。(77~78頁)
理解の助けとして、著者の別の新書『新しい科学論――「事実」は理論をたおせるか』(1979年、講談社ブルーバックス B-373)もお勧めします。初版発行から40年近く経った今でも絶版になっていません。発行時に読んで大変触発された本です。
JELA理事
森川 博己
森川 博己
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