2018年8月27日月曜日

【信仰書あれこれ】マザー・テレサとの日常的な接触

片柳弘史『カルカッタ日記――マザー・テレサに出会って』(2003年、ドン・ボスコ社)をとりあげます。ちなみに2018年1月31日の本欄「吉永小百合さんに差し上げた本」でも、片柳氏の別の著書『祈るように生きる』(2015年、ドン・ボスコ社)をとりあげています

大学を出たばかりの平信徒・片柳氏は、1994年から95年にかけての通算約一年ほどをカルカッタのマザー・テレサのもとでボランティアとして過ごしました。現地で堅信式を受けるにあたりマザーに代母になってもらった経緯や、マザーから司祭 になるようにとの勧めを受けたときの戸惑いについても記されています。

本書は、マザー・テレサの日常的な振る舞いや珠玉の言葉に身近で接した20代の若者の貴重な記録です。

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1994年11月20日の日記から
  • 行列が始まった。……マザーの後ろにくっついて1時間くらい街中を歩いた。マザーの周りにはたくさんの人が近寄ってきた。話しかける人、足に触ろうとする人や、マザーを拝んでいる人までいた。街の人々はみなマザーをとても尊敬し、愛しているようだった。後ろから歩いて気がついたのは、マザーがスタスタと歩くということだ。マザーはもともとそれほど背が高くないのだが、今は背中が曲がってしまってかなり小さく見える。だが、他の人に負けないように、大股ですばやく歩くのだ。……マザーの足をよく見ると、ひどい外反母趾で、親指がほとんど90度近く曲がってしまっている。きっとサイズの合わないサンダルを履いて長年歩き回っていたからだろう。(19~20頁)


同年11月27日の日記から
  • 今日は、待降節の第一主日だった。朝のミサのあと、マザーからボランティアに短い講和があった。今日から聖堂に……馬をつないでおくための岩屋の模型が置かれている。そして、その前に空の飼い葉桶が置いてある。「今日から、クリスマスまで一つでも多くの犠牲を行いなさい。そして、何か一つの犠牲をするたびにこの厩(うまや)の前に来て祈り、そしてわらを一本飼い葉桶に入れなさい。そうすれば、クリスマスまでにこの飼い葉桶はわらでいっぱいになって、幼子イエスを迎えるのにちょうどよくなっているでしょうし、あなたたちの心も幼子イエスを迎えるのにちょうどよく、愛でいっぱいになっていることでしょう」とマザーは話した。イエスのために犠牲を行うことで自分の心の中にある執着を一つひとつ取り除き、イエスを迎えるためのスペースを作ることができる。同時にそのスペースはイエスへの愛で満たされる、ということだ。(22頁)

同年11月28日の日記から
  • 病気をしている時や特別の用事がある時以外は、毎日「死を待つ人の家」でボランティアをしている。ここではすべての仕事が手作業だ。患者さんたちの世話はもとより、掃除や食器洗い、洗濯にいたるまですべて手作業で行われる。洗濯機などを寄付しようと言ってくれるお金持ちもいたらしいのだが、「貧しい人々は洗濯機など持っていません」と言ってマザーが断ってしまったということだ。あくまで、貧しい人々の一人として、貧しい人々に助けの手を差し伸べるというのがマザーの方針なのだ。「もし私たちが贅沢な生活をするようになったら、貧しい人々と同じ言葉で話すことができなくなるでしょう」と、マザーは言う。……患者さんたちが使う毛布の洗濯も手作業ですることになる。痰や糞便で汚れた百枚近くの毛布を毎日手作業で洗い、絞り、屋根に干すというのはなかなか大仕事だ。(24頁)

同年12月7日と8日の日記から
  • マザーが中庭に下りて来た。誓願を立てたシスターたちが「マザー」と叫びながら、われ先にと祝福を求めてマザーの周りに集まって来た……マザーが彼女たちのために話を始めた。……「あなたたちはどこに行っても喜んでいなさい。喜びにあふれたシスターは、周りの人々にとって太陽のようなものなのですよ」とか、「あなたたちが出会うすべての人々が、立ち去る時にはあなたたちと出会う前よりももっと喜びにあふれて立ち去ることができるようにしなさい」というような話をした。(中略)彼女たちは、神の愛を人々に伝えるため、数日中に世界中に派遣されていくのだ。(44~47頁)

著者は現在40代後半で、わかりやすい著作を多数発表し、カトリック司祭として活躍されています。その著者が人生に悩み、将来の生き方を求めてマザー・テレサのもとで過ごした記録が本書です。心の揺れを赤裸々に記されています。


JELA事務局長
森川 博己

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【信仰書あれこれ】ホスピス緩和ケアの権威と「がん哲学外来」創始者の対話(その2)

柏木哲夫樋野興夫 著『使命を生きるということ』(2012年、青梅社)の2回目です。

前回は柏木哲夫氏のエッセイと発言部分のみを引用しましたので、今回は樋野興夫氏の分を紹介します。

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ハンセン病者との出会い

  • 2012年、「がん哲学外来」と私自身にとって、大きな出会いがありました。国立療養所長島愛生園に招かれ、「新渡戸稲造 生誕150周年記念 神谷美恵子 記念 長島愛生園 がん哲学外来(カフェ)」を行ったのです。……そしてここで、これまでの「がん哲学外来」とは異なる設問が出されました。これまでは「人生の目的とは何でしょう」という質問が一番多かったのです。これに対して私は、内村鑑三の、人生の目的は「品性を完成するにあり」を引いて答えていました。しかし、長島愛生園では「何のために生まれたのか」と問われたのです。これほど苦しい人生を送り、しかも今、がんになって、この人生はどうしてあるのか、自分は何のために生まれてきたのか、ひとりの入所者は言うのでした。私は、「神を知るために」と応えました。そのとき、その人の目に涙が光ったのを見たのでした。(177~178頁)


「暇げな風貌」がもたらす効果

  • 私が「がん哲学外来」に必要だと思っているのは、「暇げな風貌」と「偉大なるお節介」なんです……。私の「暇げな風貌」の原点は、吉田富三です。彼はどんなに忙しくても、人が来たらペンを置いて、フェイス・トゥー・フェイスで、その人の目を見てしゃべったという。それはたとえ30秒でも、1分でも、相手にとっては、自分のために時間を犠牲にしていただいたということ。そういう感覚を覚えるというのが私が言う「暇げな風貌」です。……たとえば、大学病院の廊下で患者さんが医師に声をかけることがあります。そのときに「では、廊下を歩きながら話しましょう」という医師と、立ち止まってその患者さんの顔を見て話し、去っていく医師がいます。患者さんにとっては、自分のために時間を犠牲にした医師の方が、余韻が残ります。(185~186頁)


最後に、教会でのカウンセリングについて二人が興味深く重要な話をされているので、その部分から少し引用します。

  • <樋野> この前来た人が言うには、日本の教会で相談するとすぐ、お祈りしますと言うと。相談をしたくて行っているのに、いろいろ話す前にそう言われてしまう。今、東京や横浜の教会から、「がん哲学外来」やメディカルカフェをやりたいというお話も届いています。ただメディカルカフェをやるといっても、できるのかと思うんですね。……患者さんが病院では相談できないから、ここで聞いてほしいとやって来ているのに、「では聖書を開きましょう」となってしまうなら、だめなんです。 
    <柏木> 牧会カウンセリングという言葉があります。……アメリカの場合、牧師はカウンセリング的な教育を受けています。「クリニカル・パストラル・エデゥケーション」。CPEとアメリカでは言われていて、私も何回か参加したことがあります。……いろいろな問題を抱えた人が教会に相談に来ると、CPEを受けた牧師は、まずお話をうかがいます。病院で、まずは受け身でしっかり聞くということを徹底的に学んでいるからです。……ところが樋野先生がおっしゃるように、今、日本の牧師さんは最初から「こうしたらいいんですよ」とすぐに答えてしまう。「聖書を開いてみましょう。ここにこう書いてありますね」と。そうすると、相談に行った教会員は自分のもやもやとした気持ちを打ち明けることができないままに、なんだか教えられたということになる。けれども、心を開いていないから、その教えが入って来ないんですね。そこは大きな問題だと思います。
    <樋野> そう、それはほかの分野でも起こっていることですが、まずは教会が考え方を変え、教会のあり方が変わらないといけないでしょう。その問題が、医療を通してみるとよくわかるんですね。
(中略)

<柏木> ……「お祈りしますと言われたら、それはもう、きょうは終わりと言われたのと同じです」と、その方、言ったんですね……。
<樋野> そこです。牧師がほんとうの対話ができない、慰め、寄り添うということができていない。おかしなことです。(194198頁)

 キリスト信徒である二人の医者による啓発的な話が次から次に展開される、興味尽きない一冊です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月24日金曜日

【信仰書あれこれ】ホスピス緩和ケアの権威と「がん哲学外来」創始者の対話

柏木哲夫樋野興夫『使命を生きるということ』(2012年、青梅社)をとりあげます。

柏木氏は故日野原重明氏 と並ぶ、日本のホスピスケアの草分けです。そして樋野氏は、がん哲学外来の創始者・実践者として八面六臂の活躍をされています。

本書は、その二人が自分の人生を振り返って語るエッセイ四編ずつと対話三篇からなります。

今回は柏木氏のエッセイと発言部分のみをご紹介し、樋野氏の分は別の機会にとりあげることにします。

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柏木哲夫氏は少壮の医師として、米国のワシントン大学に数年間留学し、帰国を前にして、母校の大阪大学と、淀川キリスト病院から誘いの声がかかります。その時、柏木氏は以下のような思いで職業を選択します。

  • 大阪大学と淀川キリスト教病院と書いて、ずらっと項目を立てます。臨床研究をしたいと思っていたので、「共同研究者」「給料」「将来性」「通勤距離」「世間体」まで入れました。すると全部、阪大に丸がついていきます。……淀川キリスト教病院ではひとりで精神科をやるわけですし、知られている病院ではありません。ところが項目のいちばん最後に「みこころ」と入れました。……書かされたような感じで、なぜか「みこころ」とした。……神の意志というか、自分は神から何を望まれているかということをさして、「みこころ」と言います。その「みこころ」という言葉をじっと見ていると、何かだんだんと大きくなっていったのです。これで、淀川キリスト教病院に就職させていただくことを決断しました。(42~43頁)


柏木氏は、淀川キリスト教病院の精神科開設に携わり軌道に乗せた後、同病院のホスピス立ち上げに奮闘されます。現在は同病院の理事長です。

若い頃に信仰をもったのかと樋野氏から質問され、柏木氏は次のように答えます。

  • 教会に行き始めたのは大学2年のときです。浪人して大学に入ったのですが、思っていたような医学の勉強がまだ始まらない。そこでダンスをしたり、麻雀を少ししてみたり、友達と喫茶店で何時間もおしゃべりしたり、そんな大学生活を1年送りました。……そんな時に、熱心なクリスチャンの友達に誘われて教会に行くようになりました。……信仰をもつようになるには5年かかりました。ひとつ決定的だったのは、ある牧師の話でした。「罪というのは英語でSINと書く。Iが真ん中にある。人間というのは自己中心的だけれども、私が中心にあるということが罪なんです」と。私はかなり自己中心的な男でしたから、今もそうなんですけど(笑)、その話がピタッと来たんですねえ。そして、「その自己中心性という罪は、神の力によってのみ解放される」という話がとても心に残った。(95頁)


ジェラニュースをお読みの方はご存知かと思いますが、柏木哲夫氏は「川柳ひろば」の選者です。面識のない先生に数年前に依頼の手紙を差し上げたら、数日後に電話で「やりますよ」という返事をいただけたのが昨日のようです。

そこで、最後に柏木氏がユーモアの大切さについて触れたエッセイ部分を引用します。

  • ある患者さんが直腸がんの手術を受けることになりました。ところが執刀医がまだ若く、やや頼りない感じがする人で、患者さんはとても不安になったのです。しかし、「先生、大丈夫ですか」と聞くわけにもいきません。そこで、この人は……川柳を作る趣味があるので、1句作り、その句を「これ、先生に」と、看護師に渡したのです。その句というのが、「お守りを医者にもつけたい手術前」。看護師はそれを見て、くすっと笑って、ちょっと頼りなく見える執刀医に渡しました。渡された医師も、くすっと笑って、「これ、いい」と。その医師がすぐに患者さんのところに行きまして、「お気持ちよくわかります」と言った。さらに続けてすごいのは、「直腸がんの手術は、日本一とは言いませんけど、関西では一、二を争う腕を持ってるんですよ」と大嘘をついた。患者さんにはそれは大嘘だとわかるのですが、そういう対応をしてくれた医師に、そこで信頼感を持った。そうして手術は幸いうまくいきました。(113~114頁)


他にもたくさん興味深い逸話が盛り込まれた本です。次回は、樋野興夫氏の文章と発言をとりあげたく思います。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月20日月曜日

【信仰書あれこれ】朝の道しるべ

小島誠志著『朝の道しるべ――聖句断想366日』(2011年、教文館)をとりあげます。

著者の『聖句断想』シリーズ1~5巻より、一年366日分を選んで編んだものです。『聖句断想』シリーズの一片一片は、著者が牧会する日本キリスト教団・松山番町教会の週報に連載したものです。

一日分の関連聖句+断想が文庫本サイズの1ページに収まるように編集されていて読みやすく、いずれの日も霊的に深い内容です。

以下にいくつかご紹介します。

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  愛と律法(150頁)
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約される。(ローマ139
  律法は禁止します。「するな」「するな」と。信仰は勧めます。「愛しなさい」と。
間違いを犯さない正しさよりも、たとい傷ついても愛する行為が貴いのです。正し
いだけの神は、私たちには何のかかわりもありません。「独り子をお与えになった
ほどに」自ら傷つかれた神こそ、私たちの神であります。

  渇いた大地のように(272頁)
あなたに向かって両手を広げ/渇いた大地のようなわたしの魂を/あなたに向けます。(詩編1436
  両手を広げるのは祈る姿勢を示しています。自分を明け渡す姿勢であります。祈る者は罪深い自分をさらけ出して神に向かいます。自分の内奥を隠したままで祈ることはできません。祈りは単に嘆願ではないからです。神との出会いであります。祈る人は渇いた大地のように、ひび割れたまま天に向き合っています。

  危機の海で(301頁)
イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない」。そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ62021
  夜、荒れた海、狼狽している弟子たちに、主イエスは声をかけられました。彼らがイエスを迎えようとした時に、舟は「目指す地に着いた」と言われています。危機の海で、そのただ中に立ちたもう主イエスの声を聞けるかどうか――そこに信仰生活の勝敗がかかっています。

  結果ではなく始まり(306頁)
ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。……」。イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。(ヨハネ923
  なぜこうなったのか、と人間は問います。なぜこんな災難がおそったのか。なぜこんな病気になったのか。まるですべての結果がそこに現れたかのように。しかし、主イエスにあって、事態はそういうものではありません。災難も病気も、神がそこから御業を行ってくださる始まりなのです。混沌から神が光を創造されたように。

どうでしょう。どれも心に響いてきませんか。最後にもう一つ、私を含め教会に集う者にとって、とても重要な断想を紹介しておきます。
  わたしが生きているので(320頁)
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ1419
  集まっている人々が頑張って活動しているので教会が生きているのではありません。そうではなく、キリストが生きて働いているので教会は生きているのです。キリスとなしに人が頑張りすぎて、教会は死ぬこともあります。


短いながらも、このような断想とともに一日を始めたり終えることができるのは、大きな祝福だと思います。

JELA事務局長
森川 博己

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【信仰書あれこれ】愛と祈りのことば

『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編、渡辺和子訳、2000年、PHP文庫457)をとりあげます。

20年近く前、初めてインドに出張し、コルカタ(昔のカルカッタ)にある「神の愛の宣教者会」本部を訪れました。日本から一緒に行ったカトリックの女性が、建物内のある場所で跪いて十字を切りました。あとで本人に確かめると、そこはマザー・テレサの遺体が保管されている場所なのでした。何も考えずに通り過ぎた自分を恥ずかしく思ったものです。

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以下に、マザーが毎日の生活で遭遇した「事件」から語った言葉をいくつか引用します。

  • ある夜のこと、一人の男性が訪ねてきて、「八人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、このところ何も食べていません。食べるものがないのです」と告げてくれました。そこで私は、一食に十分なお米を持ってその家に行きました。そこには、目だけが飛び出している子どもたちの飢えた顔があり、その顔がすべてを物語っていました。母親は私からお米を受け取ると、それを半分に分けて、家から出て行きました。しばらくして戻って来たので、「どこへ行っていたのですか、何をしてきたのですか」と尋ねました。「彼らもお腹を空かしているのです」という答えが返って来ました。「彼ら」というのは、隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで、そこにも同じく八人の子どもがおり、やはり食べる物がなかったのでした。(44頁)
  • 数年前のことですが、カルカッタに砂糖不足が起きたことがあります。ある日のこと、四歳ぐらいの男の子が両親と一緒に私のところへ来ました。砂糖を入れた小さな容器をたずさえて。その入れ物を私に渡しながら男の子が言いました。「僕は、三日間お砂糖を食べるのを我慢したんだ。だから、これがそのお砂糖。マザーのところにいる子どもたちにあげてね」。この男の子は深い愛を持っていたのです。そしてその愛を、このような自分の我慢で表わしました。……この子は、大人から私のことを聞いた時に、自分のお砂糖を我慢する決心をしたのでした。(45~46頁)
  • ある日のこと、若い男女が修道院を訪れて面会を求め、私にたくさんのお金をくれました。「どこから、こんなに多額のお金を手に入れたのですか」と私は尋ねました。「二日前に結婚したばかりです。結婚する前から、私たちは結婚式を大がかりにしないこと、披露宴や新婚旅行をしないと決めていたのです。そのために使わないで済んだお金を、マザーのお仕事のために使っていただきたいのです」。このような決心をすることが、特にヒンズー教の家庭でどんなに難しいかを私は知っていました。ですから私はあえて尋ねました。「でもどうして、そんな風に考えついたのですか」。「私たちはお互い同士、深く愛し合っています。だから、私たちの愛の喜びを、マザーのもとにいる人びとと分かち合いたかったのです」。(50~51頁)


最後に、マザーの働きの核心とも言える彼女の言葉を二つ引用します。

  • 貧しい人が飢えで死んだ場合、それを神様のせいにしてはなりません。あなたや私がその人が必要としていたものを与えようとしなかったからなのです。つまり、私たちが神様の愛を伝える御手の道具になろうとせず、パンの一切れを与えることなく、寒さから守ってやる衣服を与えようとしなかった結果なのです。キリストが、寒さに凍え、飢えで死にかけた人の姿をとって再びこの世に来給うこと、淋しさに打ちひしがれた人の姿、温かい家庭を求める、さまよう子どもの姿をとって来給うことに気づかなかった結果なのです。(61頁)
  • 私たちはイエスにしているかのように貧しい人々に仕えてはいけません。彼らはイエスその方だから仕えるのです。(72頁)


どのページをあけても、このようなエピソード、言葉がぎっしりつまった本です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月17日金曜日

【信仰書あれこれ】みことばを生きる(その2)

先日紹介した岩島忠彦著『説教集 みことばを生きる』がとてもいいので、もう一つ、別の説教もご紹介します。

とりあげるのは、「悔い改めの季節」(ルカ福音書3章1~6節)という題の、教会歴では12月の待降節第二主日の説教です。

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待降節というのはクリスマスを前にして、「信者があらためて主イエス・キリストを自分の内にお迎えし、その恵みと平和にあずかることができるように準備する季節です。そのため、私たちは少し立ちどまり、自分が巻き込まれている日々の生の営みを客観的に眺めて見る必要があります」(本書150頁)。

引用される聖書箇所の終わりの方で預言者イザヤの次の言葉が出てきます。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』」(新共同訳聖書ルカ3:4~6)。

さらっと読むと何も感じないような箇所かもしれませんが、著者はこの部分を次のように説明します。
  • 「谷」も「丘」も私たちの心の中にあります。……私たちが持っているさまざまな問題、悩み、くったく、ディレンマ、性格的弱さ。これらと私たちは日々やっきとなって格闘しています。私の内なる深い「谷」。(150頁)
  • 「丘」――それは私たちの持っている自負心。仕事、野心、自己開発。この世に生きている限り、何かを実現したい。どうしてもこれだけはやり遂げたい。他の人に先んじたい。ここでも、「私」がフル回転して自分が疲れ気味になってしまう日々。(150頁)
  • 「主の道を整える」とは、自分のしゃかりきになっている心の扉を主に向かって開く余裕を持つということです。そのとき、ある意味で「谷」は埋められ「丘」は平らとなり、「神の救い」をいただくことがわかるでしょう。(150~151頁)
  • 福音は「罪のゆるし」「悔い改め」の必要を説いています。……罪というと何か具体的な悪しき行為、良心のとがめ、できれば見たくない自分の歪みといったことだけを連想しがちです。でも聖書の罪とは、的はずれという意味だと言われています。自分だけの力に頼って、神様に目を向けない――生き方・心の持ちようの的はずれ。私たちがやっきになって生きようとすればするほど陥りがちな傾向。これに対する回心が折々必要なのでしょう。(151頁)
  • 私たちが少し冷静になり、神さまに希望の目を注ぐなら、慰めの霊が私たちの心を満たすことでしょう。……自分の生の営みの中で、自分自身よりもっと大切なことがある―-私にとってもっと大切なものは自分より神さまだ。これに気づいたとき、私たちは心の自由をもって自分の人生と取り組んでいくことができるでしょう。(151頁)

待降節にこんな説教を聞けるのは恵みですが、待降節だけでなく、「折々に」このような話に耳を傾け、自分の力に頼りがちな自らの姿勢をただし、神さまに目を転じることができる日々は、なんと祝福に満ちたものでしょう。本書の一つひとつのメッセージから、そのような思いが確かに伝わってきます。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月16日木曜日

【信仰書あれこれ】みことばを生きる

岩島忠彦『説教集 みことばを生きる』(2003年、教友社)をとりあげます。

本書は、著者を含む四人のイエズス会司祭が、聖イグナチオ教会のホームページに主日の福音の説教を三年半ほど連載した中から、著者分を一冊にまとめたものです。

著者によると、「みことばを生きる」というタイトルにしたのは、これらの説教が、福音の言葉を一つひとつ拾い上げて自分の生活の中で味わうという姿勢を貫いたものであるためです。

著者はこうも説明します。「(私が)ずっと求めていたこと。それはお仕着せでない自分の信仰を生きていくということでした。受けた信仰が自分の生活とズレを生じることがないようにと言ってもいいかもしれません。そんな自分の心の軌道のようなものがこの説教集にはよく表れています」。(201頁)

本書は三部構成で、第一部では自分の内面や生き方に向かう内容、第二部ではイエス・キリストご自身に目を向ける要素、第三部では信仰を生きる様々な断面、が扱われています

以下では、第二部に含まれた「新しい革袋を」(マルコ2:18~22)という説教をご紹介します。

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ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々が断食をしているのに、イエスの弟子はなぜそれをしないのかという「断食論争」の箇所です。キリストの福音の二つの特徴、「喜びと新しさ」が説かれます。

  • 福音が「喜ばしい訪れ」であるといったことはいつも聞かされていますが、私たち信者は心底そう感じ受けとめているでしょうか。そのような思いが心から突き上げてくるでしょうか。……ルターがパウロに倣ってキリスト者の自由と解放を高らかに謳ったのに、プロテスタント精神の中に違った要素が巣くいだしたことはないでしょうか。(87頁)
  • この突き上げてくるような心の平和、救いの喜び、それがあってこそ、あらゆる艱難辛苦や信心の業に意味が出てきます。それは、キリストを通しての父なる神様との確かで強い交わりにこそあるのだと思います。……自分のうちに福音の喜びが息づいているかどうか確かめてみましょう。(87頁)
  • キリストの福音は、それに触れる者だれにとっても新しいものです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(Ⅰコリント2:9)。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(Ⅱコリント13:13)は、人が通常の生の営みで体験するどのようなものとも異なるものです。それは真実と恵みと安心に満ちています。信仰するとき、「このようなことがあったのか!」と人は驚くほどの事柄です。神様との交わりは新鮮で、日々新たです。ですからそれに接する者は、それまでの生きる姿勢を修正する必要があります。「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)。全く新しいから、例外なくすべての人にこう語りかけられているのです。(87~8頁)
  • 今日の福音で言えば、古い革袋・古い服、それが従来の私たちであり、そのままでは福音の恵みが受けとめられないと言っているのです。……私たちも常識や自分なりの信念、やり方に固執することなく、「幼子のように」福音の新しさに身を委ねましょう。「喜び」と「新しさ」。これは、キリストの福音が示すかなり本質的な特徴です。自分の中にそんな性質が感じられる福音を確認できますか?(88頁)

本書に収められた説教では、神様のいのち、キリストの現存、その恵みといったことが繰り返し強調されています。じっくり味わうに足る説教集です。最初に引用される長い聖書箇所を除いた説教部分だけだと3ページ前後なのですが、いずれも内容的に深く、心の奥に語りかけてきます。

表紙はフラ・アンンジェリコの作品で、著者がぜひともこの本の表紙に使いたかったものだそうで、わかるような気がします。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月14日火曜日

【信仰書あれこれ】日本の皇室とキリスト教

守部喜雅著『サビエルと天皇――豊後のキリシタン歴史秘話』(2016年、いのちのことば社フォレストブックス)をとりあげます。

以下では、第二次大戦後の皇室とキリスト教の関わりについての部分をご紹介します。非常に興味深い内容です。

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終戦直後の状況

  • 終戦直後の日本で、天皇が急速にキリスト教に接近したという、信じられないような出来事が起こっています。なぜ、そのようなことが起こったのか。それは、敗戦後、人々が生きる指針を失った日本の復興のために新しい価値観を求めざるを得なかった、という状況と無関係ではありません。(3頁)
  • 終戦の翌年には、社会事業家でありキリスト教の牧師でもあった賀川豊彦が宮中に参内し、昭和天皇にキリスト教の講義をしています。やがて、皇居内では、皇族を対象とした聖書研究会が開かれました。時の皇后陛下や、昭和天皇の子女たちも毎週のように聖書を学び、賛美歌を歌っていたといいます。また、マッカーサーの要請で、アメリカの聖書配布団体は百万冊以上の新約聖書を日本に持ち込み、敗戦で打ちひしがれていた日本人の多くが、新しい価値観を提供するキリスト教会に参加するようになったのです。<参照『昭和天皇・七つの謎』加藤康男著>(本書32頁)
  • 1949年5月、東京の明治神宮外苑で、「フランシスコ・ザビエル来日400年記念式典」が、大々的に行われました。主催したのは、当時、日本を占領していたアメリカのGHQ(連合国最高司令官総司令部)です。敗戦国日本をどのように統治していくのか。この課題に、GHQは、天皇を現人神にする日本の精神的支柱に代えて、キリスト教を日本人の生き方の模範とするという政策を打ち出そうとしていました。(32頁)
  • 「私はずっと、クリスチャンは誠実な人柄の持ち主であると考えております。道徳、人格が退廃に向かう悲しい傾向に直面する時、クリスチャンが我が国の光となることを切に願うものであります」。これは、ICU創立総会の折、名誉総裁の高松宮殿下が挨拶で述べた言葉ですが、ここに、皇室がキリスト教に対し、当時、どのようなイメージを持っていたかが如実に表れています。(33頁)


皇室がキリスト教に接近した別の側面

  • それまで、天皇を権威の頂点として挙国一致を叫び、侵略戦争を続けていた日本が、敗戦となるや、その指導者が手のひらを返すようにキリスト教を持ち上げている。その背後には、天皇の戦争責任を何とか回避したいという日本政府側の政治的思惑があることを見逃すことはできません。天皇自身、キリスト教への改宗を考えていた、という説もあります。戦争責任を負う形で天皇の座を退き、なんとか皇室を存続させたいという思いから、戦勝国アメリカからもたらされたキリスト教への改宗という要請に応えざるを得ない、というところまで天皇は追い詰められていたというのです。(38頁)


終戦後すぐの皇室がもった牧師との関わり

  • 昭和天皇の三人の弟君・秩父宮、高松宮、三笠宮は、それぞれに植村環牧師についてキリスト教の学習を励み始めていました。実は、この植村環牧師の講義には、昭和天皇も三回に一回は参加していたと言います。植村牧師は一週間に一回は皇居に入っていましたから、天皇も一か月に一回は出席していたことになります。(39頁)


平成天皇夫妻が皇太子夫妻時代にもった牧師との関わり

  • 美智子妃殿下(*当時)は、カトリックの聖心女子大学を卒業、家庭がクリスチャンホームであったことから、皇太子妃としての身分が問われましたが、「洗礼を受けていないなら問題ない」との岸信介首相の提言で既婚へと導かれています。しかし、皇室に入ってから、持参した聖書をはく奪されるなど様々な障害を持っていたとも言われています。(40頁)
  • 今生天皇が皇太子時代、美智子妃殿下と共に、夏の間は避暑に軽井沢を訪れることが恒例となっていました。軽井沢プリンスホテルが滞在先で、この期間、ホテルは貸し切り状態で、一般客は泊まることはできません。ところが、軽井沢に滞在中の皇太子夫妻に、毎年、家族共々、会っていた人がいたのです。今は亡き、田中政男氏と滝元明氏の両牧師とその家族の皆さんです。(43頁)
  • 皇太子夫妻との出会いのきっかけを作ったのは田中政男牧師で、以降の、皇太子夫妻との会見には、滝元明牧師とその家族も加わり、長年にわたって親しい交わりがあったことは、筆者も滝元牧師から聞いています。田中牧師が美智子妃殿下に贈ったのは『百円玉に誘われて』という自叙伝 ですが、滝元牧師の書いた『われ土方なれど』( 以上、いのちのことば社)に対しても妃殿下は大きな感動を受けたと感想を述べられたということです。今生天皇が皇太子時代、韓国を訪問されるときには、韓国のキリスト教会とも関係があった滝元牧師に韓国事情をくわしくお聞きになっています。(45頁)
森川注1:田中牧師が美智子妃殿下に贈ったのは自著の『百円玉に誘われて』ではなく、滝元明牧師の『平安を持つ秘訣』という小冊子。
      2:美智子妃殿下が感動し感想を述べたのは、滝元牧師の『われ土方なれど』ではなく、穐近牧師の『土方のおやじ』。
以上、あまり知られていない事実かと思います。本書の巻末に多数の参考引用文献が挙がっていて、今回の話と特に関係するのは以下の三冊です。


ちなみに、この中でもっとも詳細な記録である『天皇のロザリオ 上・下』は、キリスト教を批判する立場から記されているとのことです。

JELA事務局長
森川 博己

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【信仰書あれこれ】教皇庁の説教師による来日講和

ラニエロ・カンタラメッサ著『聖霊とエウスカリスチア』(澤田和夫訳、2005年、サンパウロ)をとりあげます。著者はヨハネ・パウロ二世などが教皇の時代に、30年以上にわたりバチカンで教皇や枢機卿のための説教師を務めた司祭です。バチカンの説教師になる前には、ミラノ大学で教会史を教えたり宗務部長を務めたりしています。

伝統的なカトリック司祭として出発した後、カリスマ刷新を体験し、教皇庁の説教師となたった時点では、その運動を擁護する立場にありました。

本書は、著者が2005年5月上旬に来日して黙想会で語った内容とミサでの説教を編集した百ページ弱の冊子です。以下では、カリスマ刷新への自らの関わりについて触れた「聖霊の洗礼」という講和から引用します。

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カリスマ刷新の本質

  • カリスマ刷新に参加することは、教会の心臓部に入ることを意味します。何か奇妙なセクトに属するようになるのではありません。(38頁)
  • カリスマ刷新は、多くの司教や司祭が考えていることとは正反対に、表面的で感情的なものではないということが分かりました。それは、福音の真髄へと人を導くものです。つまり、イエスの十字架に導くものです。(44頁)


カリスマ刷新に関わる経緯と進展

  • その霊的な歩みに私が同伴していたご婦人が、ミラノである黙想会に参加なさって、戻って来て、「あそこで、とても変わった人たちに会いました。まったく変わった仕方でお祈りをするのです。手を上げて祈ったり、自分たちの間で奇跡が起こるなどと言ったりしています」と言うのです。賢明な霊的指導者として、私は彼女に言いました。「そこへ二度と行かないように」と。(39頁)
  • ある時、私はローマで行われていた(カリスマ的)祈りの集いに参加して、……人々は自分たちの中に司祭(=私)がいるのを見て、ゆるしの秘跡を受けに来ました。告白を聴いた時、私にとって大きなショックでした。こんな深い悔い改めを今まで見たことがなかったのです。それで初めて分かりました。「聖霊によって罪があると確信させられるとは、このようなことだ」と、……その人の魂から罪が落っこちて来るかのようで、目には涙があふれていました。「これは神のみわざだ」と認めざるを得なくなりました。(39~40頁)
  • 伝統的なカトリック司祭として、第二バチカン公会議以前の教育をしっかり受けていた者として、何か新しいものに対する恐れがありました。……それで、(カリスマ的)祈りの集いの時に、私の心の中にこんな考えがありました。「私はフランシスコ会員だ。私の霊的な父はアシジの聖フランシスコだ。美しい霊性がある。その他に何が必要か。この一般信徒たちが私に何を与えることができるのか……」という思いがずっと心にありました。その時、そのグループの一人が聖書を開いて、私のことを何も知らない人でしたが、読み出しました。洗礼者ヨハネがファリサイ派の人々に言った言葉でした。「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを作り出すことがおできになる」<マタイ3:9>。主が私の異議に答えてくださったのだと分かりました。それで立ち上がって……話しました。「主よ、これからはもう決してアシジの聖フランシスコの息子などと言いません。なぜなら、私はまだ本当に聖フランシスコの息子になりきっていないからです。本当の霊的な息子になるために必要ならば、『聖霊の満たし』を受けましょう」。私は受諾しました。(42~3頁)


カリスマ刷新を経験した後の変化

  • ワシントンにあるカプチン会修道院へ戻る飛行機の中で、実際に私の中で何かが起こったことを自覚し始めました。聖務日祷を唱えるために本を開くと、祈りが全く新しい詩編のように思われました。それは、ちょうど前日に私のために書かれた詩編のように思われました。聖霊が来てくださることの最初の実りの一つは、聖書が私にとって生きた書物になるということでした。(46頁)
  • (バチカンでの奉仕の)第二年目の四旬節に、聖霊による洗礼について話すようにと、主が望んでおられることが分かりました。それで教会の心臓部において、私は「聖霊による洗礼」について話しました。……「『もう私たちは聖霊を受けた』と言い張らないように」と勧めました。「私たちはすでに司祭であり、司教であり、一般信徒の方が自分の上に手を置いて祈る必要はない」と言わないようにと。そんなことを言ったら、イエス様は答えられるでしょう。「私も、母マリアから生まれた時から、聖霊に満たされていたけれど、……信徒のヨハネから洗礼を受けました」。その説教の後で……ある枢機卿が私を引きとめて、明らかに感動しながら言いました。「きょう、この部屋で聖霊が語っているのを聞きました」。(50頁)


本書には、この講和の実践編とも言える別の講話「聖霊の洗礼に必要な回心」も収録されていて、「聖霊の洗礼」を受け、それを味わう順序として、①自分の罪を認める、②罪を悔い改める、③もう罪を犯さないという決心、④第四段階は罪を滅ぼす、⑤最後の段階は喜びと幸せです、という区分で具体的にわかりやすく説かれます。大変興味深い内容です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年8月13日月曜日

【信仰書あれこれ(映画)】アーミッシュの生活と刑事サスペンスをからませた傑作


 
『刑事ジョン・ブック/目撃者』をとりあげます。監督ピーター・ウィアー、主演ハリソン・フォード1985年に作られたサスペンス映画です。
 
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アーミッシュの村を一時的に離れ、母親と都会を訪問することになった寡黙な少年サミュエルは、大きな駅での乗り換え時間に利用したトイレで殺人事件を目撃してしまいます。ハリソン・フォード扮する精悍な刑事ジョン・ブックが犯人を捜すためにこの母子を、色々いかがわしい場所に連れまわすことから、物語はスタートします。


 
母親役のケリー・マクギリスと刑事ジョン・ブックの内に秘めた愛と別れ、少年一家その他のアーミッシュの信仰をもつ人々が暮らすペンシルベニア州ランカスターの村(ここに、命を狙われ負傷したジョン・ブックが何週間も身を潜めます)の風景と暮らしぶりなど、登場人物の心理描写と生き方が丁寧に描かれています。サスペンスとユーモアを巧みに織り交ぜた構成が見事で、アカデミー賞脚本賞と編集賞を受賞しているのもうなずけます。
 
私はこの作品を三十数年前の公開当時に映画館で観て、アーミッシュの存在を初めて知りました。当時、本作に触れた多くの日本人もそうだったのではないでしょうか。現代に生活しながら電化製品を一切使わず、ダンスや歌といった娯楽を避け、移動手段は馬車。食物も自給自足でしょうし、大工仕事も自分たちでやります。村人総出で新婚夫婦のために小屋を建てるシーンでは、「よそ者」のハリソン・フォードが、にわか大工を手慣れた手つきで演じます。彼はデビュー後しばらく俳優として目が出なくて、大工仕事で身を立てることを真剣に考えていた時期があり、その時の経験が役立ったようです。
 
映画のパンフレットにウィアー監督の次の言葉が載っており、目の付け所に感心します。「300年前、米国に渡って来て、野を耕し、考えをめぐらした人々と、ほぼ同様の生活をしている人たちがこの地におり、今でも変わっていないという事実が私の興味をそそった。……アーミッシュはいわば白人の民族社会で、宗教は彼らにとって文化であり、それは日曜ごとに教会に行くといった類のものではない。……このとてつもないタイムスリップは、1985年の“メディア時代”にとって、映画にドラマにうってつけの題材と言える。以前に、それが試みられていないことに私は驚いている」。
 
本作は、ハリソン・フォードの傑作であるのみならず、アーミッシュの暮らしを丹念に描いている点で興味尽きない映画です。
 
JELA事務局長
森川 博己
 
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2018年8月6日月曜日

【信仰書あれこれ】名言集を信仰の目で読むと

アルプスの少女ハイジ 心を照らす100の言葉』(2015年、いろは出版編・発行)をとりあげます。
 
ハイジに登場する言葉ではなく、アニメの絵と有名な哲学者・作家・俳優などの名言のコラボレーションのような本です。全体は「生き方/許す/別離/転機/解放/愛する/幸福」の七つの章に分類されています。
 
以下では各章から数個、気にいった言葉をご紹介します。
 
 
 
 

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第1章 生き方
  • 人生はたった一度きり。けれど、正しく生きたなら、一度で十分。(メイ・ウエスト/女優)
  • 人生とは、物語のようなものだ。いかに長く生きたのかではなく、いかによく生きたのかが問題だ。(セネカ/哲学者)
「正しく」とか「よく」という基準が何によるのか気になります。聖書は「正しい方は一人しかいません」と言っています。
 
第2章 許す
  • 許すことは、過去を変えることではなく未来を広げることである。(ポール・バーザ/植物学者)
  • 絶望的な状況というものはない。人が状況に対して絶望的になるだけだ。(クレア・ブース・ルース/劇作家)
「絶望的な状況」でも絶望しないために、クリスチャンには「ローマの信徒への手紙」8:28の言葉が与えられています。

第3章 別離
  • 暗闇を不安に思うより、一本のろうそくに火を灯しなさい。(エレノア・ルーズベルト/人権活動家)
  • 人生とはおもしろいものです。何か一つを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。(サマセット・モーム/作家)
キリスト信徒にとって「ろうそくの灯」はイエス・キリストです。後者のモームの言葉は、「一粒の麦もし死ななければ~」という聖句を想起させます。
 
第4章 転機
  • 運命を一夜で変えることはできないが、あなたが進む方向を変えることは一夜でできる。(ジム・ローン/実業家)
  • できると決断しなさい。方法などは後から見つければいいのだ。(リンカーン/政治家)
神の啓示があなたの心をとらえ、それに従おうと心から決断する時、あなたは自分のうちに大きな変化を経験します。神に喜ばれる存在になり続けようとする、霊的な基礎がその瞬間に与えられるからです。

第5章 解放
  • 自分の翼だけで飛ぶなら、鳥は高く舞い上がることはできない。(ウィリアム・ブレイク/詩人)
  • つまずいたところにこそ、宝物がある。(ジョーゼフ・キャンベル/神話学者)
キリストに信頼する者は、自分の翼だけでなく、神の翼につかまって飛ぶように、日々導かれます。
 
第6章 愛する
  • 友人とは、すべてを知りながらも愛してくれる人間である。(エルバート・ハバート/作家)
  • 私たちはこの世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。(マザー・テレサ/修道女)
私たちのすべてを知りながら、自分から愛してくださったのが神様です。私たちの罪を処理するために、ひとりごイエスを十字架につけてくださったのですから。この事実を神の霊によって知らされ、心からそれを受け入れる時、感謝に満ち溢れます。
 
第7章 幸福
  • 冬がなければ、春を気持ちよく感じない私たちは、時に逆境を味わわなければ、幸福をそれほど喜ばなくなる。(シャーロット・ブロンテ/作家)
  • 一つの幸せのドアが閉じるとき、もう一つのドアが開く。しかし、私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない。(ヘレン・ケラー/教育者)
逆境にある人にブロンテとケラーの言葉を送ります。このような考え方を可能にしてくださるのは神様であり、神を信頼する信仰によって、その見方が可能となるのです。
 
上にとりあげた言葉を発したのがクリスチャンであるのかないのか、私は知りません。しかし、あなたがクリスチャンなら、それらの言葉の中にキリストの教え、イエスにつながることの大切さが読み取れるはずです。
 
JELA事務局長
森川 博己
 
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