2018年9月12日水曜日

【信仰書あれこれ】 キリストのうちにとどまる

阿部光子『聖書のある人生』(1979年、彌生書房)をとりあげます。

https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%94%9F-%E9%98%BF%E9%83%A8-%E5%85%89%E5%AD%90/dp/4841504516
本当の意味で悔い改めてクリスチャンとしての人生を歩みだした1984年2月から少ししてこの本に出会いました。内容にとても触発されたのを今でも覚えています。久しぶりに読み返してみたところ、昔と変わらず充実していました。

あとがきによると、著者が日本基督教団和泉多摩川教会を建設する志を立てたのが本書発行の10年前で、当時は日曜ごとに10人足らずの人々が集まり「ヨハネ第一の手紙」を学んでいたそうです。
 
本書には、その「ヨハネ第一の手紙」の学び部分が、百ページにわたって収録されています。
 
 
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以下では、ヨハネ第一の手紙2章1~29節についての話の中の「キリストのうちにとどまる」と題された部分をご紹介します。著者はいくぶん毒舌風でストレートにものを言います。それが彼女の魅力であり、読む側の内容理解の助けにもなります。
  •  私たちは自分から求めて聖書のみことばを学んでいるように錯覚していますが、実はそうではない、不思議な力によって導かれて、今日この処で聖書のみことばを学んでいることに、どなたも思いを沈めて考えるとき気づかれるでしょう。それをキリストからいただいた油、神の御霊の働きにより教えられたというのです。そして、キリストにとどまっていなさいと、ここでみことばは私たちに示します。(78頁)
  • 「人がその友のために自分の命を捨てること、これより大きな愛はない。あなたがたに私が命じることを行うならば、あなたがたは私の友である」<ヨハネ福音書15:13~14)と十字架を前に教えてくださり、自らその教訓を生かして見せてくださったのです。このご教訓を拝読すると、すぐ、私は友のために生命が捨てられない、だから、と思い悩みます。それは有限者人間の考えというものです。全き愛の神が、あれをしなければこうしてやるなどという、不完全な有限の人間のような考え方をなさるでしょうか。……こうすればいいことがある、ああすれば悪いことがあると、報いを考え、神と取り引きをし、神を試みるのはやめましょう。にせキリストにつけ入れられるだけだと、ここに示されるのです。ただキリストにとどまっている。主は、何でもかでも勘定ずくの有限の人間の属性にしばられる私たちを憐れんで、十字架につき復活してくださった。(78~79頁)
  •  私たちは、毎日の生活の中で決断を迫られる事件のあるたびに、悦んで受けるトレーニングをするのです。主が十字架をお負いになったのに比べれば、これぐらいのことは、と、歯をくいしばらずに受ける決断をする。またそれができなければ、弱い私にはできないからこういう面倒が起きるのは当然、あの人の怒るのも無理はないと受け入れる。すべてを主によって受け入れ赦していく生活を目指すのを、キリストのうちにとどまるというのです。赦せなければ赦せないでよろしいから、キリストを見上げて赦せない自分であることを正直に告白していく。それもまた、キリストのうちにとどまることです。(79頁)

著者は作家であり、小説やエッセイなど多数の作品を出版されています。救世軍の指導者・山室軍平の長男の妻としても有名ですが、私にとっての阿部光子は『聖書のある人生』の著者です。
 
JELA事務局長
森川 博己
 
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