2018年10月23日火曜日

【信仰書あれこれ】誰もが後世に残せる最大のもの



本作品は、明治27(1894)年に箱根で行われたキリスト教徒夏期学校において、内村鑑三が青年信徒向けに話した講話です。『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』と並んで、内村の最も有名な作品の一つでしょう。

本作品の「改版に付する序」で著者は次のように振り返ります。
「本講演は明治27年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より31年前、私が33歳の壮年であった時に、海老名弾正君司会のもとに、箱根山上、芦ノ湖のほとりにおいてなしたものであります。(中略)この小著そのものが私の『後世への最大遺物』の一つとなったことを感謝します。……過去30年間生き残ったこの書は今よりなお30年あるいはそれ以上に生き残るであろうとみてもよろしかろうと思います。(本書8~9頁)

講演内容のいくつかを以下に引用します。ちなみに引用文の後のページは、冒頭に記した教育出版の本のそれです。文章は内村鑑三全集からとられていて、妙なところにカタカナが登場したりしますが、そのまま引用します。

◇◆◇

清い欲
  • 私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかな天国に往き、私の予備校を卒業して天国なる大学校に入ってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に50年の命を与えてくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。……何も後世の人が私を褒めたってくれいというのではない。私の名誉を残したいというのではない。ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいうMementoを残したいのである。(16~17頁)
  • 有名なる天文学者のハーシェルが20歳ばかりの時に彼の友人に語って「わが愛する友よ、我々が死ぬ時には、我々の生まれた時よりも世の中を少しなりともよくして往こうではないか」と言うた。……我々が死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるならば我々の生まれた時よりもこの日本を少しなりとも善くして逝きたいではありませんか。(18~19頁)

神の国のために金を儲け使う
  • 金を儲けることは己のために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神が我々の中に起こらんことを私は願う。そういう実業家が今日わが国に起こらんことは、神学生の起こらんことよりも私の望むところでござります。(中略)金は後世への最大遺物の一つでござりますけれども、遺しようが悪いとずいぶん害をなす。それゆえに金を溜める力を持った人ばかりではなく、金を使う力を持った人が出てこなければならない。(27~30頁)

誰もが遺せる最大の遺物
  • 事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、モノを教えることもできない。ソウすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。……私はそれよりモット大きい、今度は前の三つと違いまして誰にも残すことができる最大の遺物があると思う。(中略)人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚な生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。(62~63頁)
  • 高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、……すなわちこの世の中はこれは決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中ではなくして、歓喜の世の中であるという考えを我々の生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。(63~64頁)

残り20ページが本講演のハイライトなので、ご自分でお読みになることをお勧めします。本作品は岩波文庫『後世への最大遺物・デンマルク国の話』として手軽に入手できます。

JELA事務局長
森川 博己