2018年10月17日水曜日

【信仰書あれこれ】すべてを新たにしてくれる生き方


ヘンリ・ナウエン著『すべて新たに――スピリチュアルな生き方への招待』(日下部 拓訳、2009年、あめんどう)をとりあげます。

訳者あとがきが本書の意義を簡潔に示しています。
「どんな分野であれ、真のプロフェッショナルは、難しい専門用語を多用して聞き手を煙に巻いたりせず、シンプルな表現と分かりやすい例えで、その分野の内容を誰にもわかるように説明できるものです。その意味でナウエンは、霊性=スピリチュアリティに関する真のプロだと申せましょう。(米国で1981年に)初版が発行されてから、(この訳書が出る2009年で)すでに28年の歳月が経っていますが、ナウエンのメッセージは、発行された時の新鮮さを今なお持ち続けています。」(100頁)

2018年の今も古びない本書の内容は、以下のようなものです。

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執筆の動機
  • 霊的な生き方を解説した素晴らしい本は数多くありますが、短時間で読むことができ、かつ霊的な生き方とは何かを説明するだけでなく、「実際に自分がそんな生き方を始めてみたい」と思わせる冊子があっても悪くないと感じていました。そんな気持ちから、この本を書くことにしたのです。ここにまとめた思索の数々は、私自身だけではなく、すでに多くの人たちによって述べられていますが、この本で一つにまとめることで、「生活は目いっぱいにもかかわらず、心は満ち足りていない」と感じている方たちのお役に立てればと願い、また祈ります。(9頁)

対象読者
  • 本書はまず、スピリチュアルな生き方をもっと深めたいという強い衝動を認めながらも、実際にどうすればよいか、どの方向に進むべきかを見失って困っている人たちのために書きました。それはすでにキリストを知ってはいても、その知識を頭から心へと、しっかり定着させたいと強く望んでいる人たちのことです。(12頁)

内容と構成
  • 本書での考察を三部に分けました。第一部では、思い煩いというものが、いかに日々の生活に破壊的作用を及ぼすかを述べます。第二部では、私たちを金縛りにする思い煩いに対し、新しい生き方、すなわち、神の霊によってすべてが新しくされる生き方をイエスが提示し、このことにどう応じられたかを示したいと思います。最後の第三部では、私たちを縛りつける思い煩いの縄目を少しずつゆるめさせ、神の霊によって新たに作り変えていただくための具体的な修練を、いくつか述べることにします。(14~15頁)

思い煩いの本質とイエスの招き
  • 今日において思い煩うとは、忙しく過ごし、多くの心配を抱えながらもつまらなさを覚え、恨みを抱き、抑うつ感に圧しつぶされ、しかもひどく孤独であるということです。
    (中略)イエスは、私たちが本来いるべき場所へと連れ戻そうとしてくださいます。けれども、そのスピリチュアルな生活へと招く声は、自分の居場所のなさ、思い煩う姿を正直に告白し、そのことで日常生活がバラバラであることを認めることができて初めて、聴き取ることができます。その時こそ、真にいるべき場所への私たちの願望が深まります。(34~36頁)

神の国と神の義を求める
  • 思い煩うばかりの私たちへのイエスの応答は、……「生活の重心を変えなさい、注意を向ける中心を移動しなさい、そして優先順位を変えなさい」ということです。……この、心の持ち方を変えることこそが、すべてのことを変えるのです。たとえ、すべて見た目には変わらないようであってもです。これこそが、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」<マタイ6・33>という言葉の意味することです。……私たちの心を神の国に置くとは、私たちの内にあり、間におられる神の霊に導かれる生活を、私たちの日々の考え、口に出す言葉、すべての行いの中心に据えることです。(41~43頁)

イエス的「真理」
  • イエスは聖霊を送ってくださり、そのことを通して、神と共にあるまったき真理へと導いてくださいます。ここで真理というのは、思想、概念、あるいは教理のことではなく、真実な関係という意味です。真理へと導き入れられるとは、イエスが御父との間に持っておられる関係へと、私たちも導き入れられること、つまり聖なる婚姻の関係に入ることです。(54頁)

本欄でこれまでにとりあげたナウエンの作品は『あわれみ――コンパッション――ゆり動かす愛』と『イエスの御名で――聖書的リーダーシップを求めて』です。他にも多数の作品が日本語で読めます。

JELA事務局長
森川 博己

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