小島誠志著『朝の道しるべ――聖句断想366日』(2011年、教文館)をとりあげます。
著者の『聖句断想』シリーズ1~5巻より、一年366日分を選んで編んだものです。『聖句断想』シリーズの一片一片は、著者が牧会する日本キリスト教団・松山番町教会の週報に連載したものです。
一日分の関連聖句+断想が文庫本サイズの1ページに収まるように編集されていて読みやすく、いずれの日も霊的に深い内容です。
以下にいくつかご紹介します。
著者の『聖句断想』シリーズ1~5巻より、一年366日分を選んで編んだものです。『聖句断想』シリーズの一片一片は、著者が牧会する日本キリスト教団・松山番町教会の週報に連載したものです。
一日分の関連聖句+断想が文庫本サイズの1ページに収まるように編集されていて読みやすく、いずれの日も霊的に深い内容です。
以下にいくつかご紹介します。
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・ 愛と律法(150頁)
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約される。(ローマ13:9)
★ 律法は禁止します。「するな」「するな」と。信仰は勧めます。「愛しなさい」と。
間違いを犯さない正しさよりも、たとい傷ついても愛する行為が貴いのです。正し
いだけの神は、私たちには何のかかわりもありません。「独り子をお与えになった
ほどに」自ら傷つかれた神こそ、私たちの神であります。
・ 渇いた大地のように(272頁)
あなたに向かって両手を広げ/渇いた大地のようなわたしの魂を/あなたに向けます。(詩編143:6)
★ 両手を広げるのは祈る姿勢を示しています。自分を明け渡す姿勢であります。祈る者は罪深い自分をさらけ出して神に向かいます。自分の内奥を隠したままで祈ることはできません。祈りは単に嘆願ではないからです。神との出会いであります。祈る人は渇いた大地のように、ひび割れたまま天に向き合っています。
・ 危機の海で(301頁)
イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない」。そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6:20~21)
★ 夜、荒れた海、狼狽している弟子たちに、主イエスは声をかけられました。彼らがイエスを迎えようとした時に、舟は「目指す地に着いた」と言われています。危機の海で、そのただ中に立ちたもう主イエスの声を聞けるかどうか――そこに信仰生活の勝敗がかかっています。
・ 結果ではなく始まり(306頁)
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。……」。イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。(ヨハネ9:2~3)
★ なぜこうなったのか、と人間は問います。なぜこんな災難がおそったのか。なぜこんな病気になったのか。まるですべての結果がそこに現れたかのように。しかし、主イエスにあって、事態はそういうものではありません。災難も病気も、神がそこから御業を行ってくださる始まりなのです。混沌から神が光を創造されたように。
どうでしょう。どれも心に響いてきませんか。最後にもう一つ、私を含め教会に集う者にとって、とても重要な断想を紹介しておきます。
・ わたしが生きているので(320頁)
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ14:19)
★ 集まっている人々が頑張って活動しているので教会が生きているのではありません。そうではなく、キリストが生きて働いているので教会は生きているのです。キリスとなしに人が頑張りすぎて、教会は死ぬこともあります。
短いながらも、このような断想とともに一日を始めたり終えることができるのは、大きな祝福だと思います。
JELA事務局長
森川 博己
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