守部喜雅著『サビエルと天皇――豊後のキリシタン歴史秘話』(2016年、いのちのことば社フォレストブックス)をとりあげます。
以下では、第二次大戦後の皇室とキリスト教の関わりについての部分をご紹介します。非常に興味深い内容です。
終戦直後の状況
皇室がキリスト教に接近した別の側面
終戦後すぐの皇室がもった牧師との関わり
平成天皇夫妻が皇太子夫妻時代にもった牧師との関わり
ちなみに、この中でもっとも詳細な記録である『天皇のロザリオ 上・下』は、キリスト教を批判する立場から記されているとのことです。
以下では、第二次大戦後の皇室とキリスト教の関わりについての部分をご紹介します。非常に興味深い内容です。
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終戦直後の状況
- 終戦直後の日本で、天皇が急速にキリスト教に接近したという、信じられないような出来事が起こっています。なぜ、そのようなことが起こったのか。それは、敗戦後、人々が生きる指針を失った日本の復興のために新しい価値観を求めざるを得なかった、という状況と無関係ではありません。(3頁)
- 終戦の翌年には、社会事業家でありキリスト教の牧師でもあった賀川豊彦が宮中に参内し、昭和天皇にキリスト教の講義をしています。やがて、皇居内では、皇族を対象とした聖書研究会が開かれました。時の皇后陛下や、昭和天皇の子女たちも毎週のように聖書を学び、賛美歌を歌っていたといいます。また、マッカーサーの要請で、アメリカの聖書配布団体は百万冊以上の新約聖書を日本に持ち込み、敗戦で打ちひしがれていた日本人の多くが、新しい価値観を提供するキリスト教会に参加するようになったのです。<参照『昭和天皇・七つの謎』加藤康男著>(本書32頁)
- 1949年5月、東京の明治神宮外苑で、「フランシスコ・ザビエル来日400年記念式典」が、大々的に行われました。主催したのは、当時、日本を占領していたアメリカのGHQ(連合国最高司令官総司令部)です。敗戦国日本をどのように統治していくのか。この課題に、GHQは、天皇を現人神にする日本の精神的支柱に代えて、キリスト教を日本人の生き方の模範とするという政策を打ち出そうとしていました。(32頁)
- 「私はずっと、クリスチャンは誠実な人柄の持ち主であると考えております。道徳、人格が退廃に向かう悲しい傾向に直面する時、クリスチャンが我が国の光となることを切に願うものであります」。これは、ICU創立総会の折、名誉総裁の高松宮殿下が挨拶で述べた言葉ですが、ここに、皇室がキリスト教に対し、当時、どのようなイメージを持っていたかが如実に表れています。(33頁)
皇室がキリスト教に接近した別の側面
- それまで、天皇を権威の頂点として挙国一致を叫び、侵略戦争を続けていた日本が、敗戦となるや、その指導者が手のひらを返すようにキリスト教を持ち上げている。その背後には、天皇の戦争責任を何とか回避したいという日本政府側の政治的思惑があることを見逃すことはできません。天皇自身、キリスト教への改宗を考えていた、という説もあります。戦争責任を負う形で天皇の座を退き、なんとか皇室を存続させたいという思いから、戦勝国アメリカからもたらされたキリスト教への改宗という要請に応えざるを得ない、というところまで天皇は追い詰められていたというのです。(38頁)
終戦後すぐの皇室がもった牧師との関わり
- 昭和天皇の三人の弟君・秩父宮、高松宮、三笠宮は、それぞれに植村環牧師についてキリスト教の学習を励み始めていました。実は、この植村環牧師の講義には、昭和天皇も三回に一回は参加していたと言います。植村牧師は一週間に一回は皇居に入っていましたから、天皇も一か月に一回は出席していたことになります。(39頁)
平成天皇夫妻が皇太子夫妻時代にもった牧師との関わり
- 美智子妃殿下(*当時)は、カトリックの聖心女子大学を卒業、家庭がクリスチャンホームであったことから、皇太子妃としての身分が問われましたが、「洗礼を受けていないなら問題ない」との岸信介首相の提言で既婚へと導かれています。しかし、皇室に入ってから、持参した聖書をはく奪されるなど様々な障害を持っていたとも言われています。(40頁)
- 今生天皇が皇太子時代、美智子妃殿下と共に、夏の間は避暑に軽井沢を訪れることが恒例となっていました。軽井沢プリンスホテルが滞在先で、この期間、ホテルは貸し切り状態で、一般客は泊まることはできません。ところが、軽井沢に滞在中の皇太子夫妻に、毎年、家族共々、会っていた人がいたのです。今は亡き、田中政男氏と滝元明氏の両牧師とその家族の皆さんです。(43頁)
- 皇太子夫妻との出会いのきっかけを作ったのは田中政男牧師で、以降の、皇太子夫妻との会見には、滝元明牧師とその家族も加わり、長年にわたって親しい交わりがあったことは、筆者も滝元牧師から聞いています。田中牧師が美智子妃殿下に贈ったのは『百円玉に誘われて』という自叙伝 ですが、滝元牧師の書いた『われ土方なれど』( 以上、いのちのことば社)に対しても妃殿下は大きな感動を受けたと感想を述べられたということです。今生天皇が皇太子時代、韓国を訪問されるときには、韓国のキリスト教会とも関係があった滝元牧師に韓国事情をくわしくお聞きになっています。(45頁)
森川注1:田中牧師が美智子妃殿下に贈ったのは自著の『百円玉に誘われて』ではなく、滝元明牧師の『平安を持つ秘訣』という小冊子。
2:美智子妃殿下が感動し感想を述べたのは、滝元牧師の『われ土方なれど』ではなく、穐近牧師の『土方のおやじ』。
以上、あまり知られていない事実かと思います。本書の巻末に多数の参考引用文献が挙がっていて、今回の話と特に関係するのは以下の三冊です。
ちなみに、この中でもっとも詳細な記録である『天皇のロザリオ 上・下』は、キリスト教を批判する立場から記されているとのことです。
JELA事務局長
森川 博己
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